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静岡浅間通り常夜燈 ~保存と修復~

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みなさん、想像してみて下さい。

街灯や交差点ごとにある信号機、走る自動車のヘッドライト、夜空を照らすビル群の光。

そんな灯りがまったくない夜の世界。

家の外に出れば、月星の灯りと、遠くを歩く人の提げている提灯のぼんやりとした灯り。道は歩き慣れているとはいえ、でこぼこだったり傾斜があったり、木の根や草が生い茂る。少し前まで日本中にあった光景です。

そんな暗い夜道で見つける常夜燈の灯りは、どんなに頼もしい存在だったでしょう。この灯りが行く人の往来を支えてきたことを思うと、どれだけ人々の心を温め、拠り所になっていただろうと、時間を越えて思いを馳せることができます。

今回は、静岡浅間通り商店街の入り口にあります「中町秋葉山常夜燈」の保存と修復”第一回”としてご紹介いたします。

■ 中町秋葉山常夜燈

まず、この常夜燈(竜灯とも)は言わずもがな、夜道を照らす保安灯です。そして名にも冠する”秋葉山”。これは現在の浜松市天竜区春野町にある神社のことをいいます。

火防の神様として江戸時代に秋葉信仰が広がり、貞享2年(1685)ころに庶民に普及し、秋葉講(お参りに行くグループみたいなもの)が多く組織されたそうです。秋葉山にお参りをして、御札を頂き、戻ってきて常夜燈の内部に納める。

道を照らす灯りであるとともに、地域の防災のシンボルのような役割も担っていたようです。

中町秋葉山常夜燈(修理前)

さて、今回修理を行っている常夜燈にも「秋葉山」という名前がついています。棟札等の銘文から天保13年(1842)に「再建」された旨が書かれています。現在の場所は静岡浅間通り商店街の入口、赤い大鳥居がある場所です。

江戸時代ならばまさに駿府城の目の前、つまり江戸幕府将軍様のお膝元にあった秋葉講であり常夜燈だったと言えます。

※本記事は 静岡県民俗学会理事 松田香代子先生(知っていますか?中町秋葉山常夜燈のこと-保存と修理に向けて-) より引用させて頂いております。松田先生ありがとうございます。

■ 保存と修理 ①調査

この常夜燈、現在の静岡浅間通り商店街入口に移動してきたのが昭和12年、もっとも新しい修理が行われたのが戦後間もない昭和59年、そこから32年経った令和5年、今回私たちが行う修理となります。

およそ1.9mの基壇(きだん:石を積んだ台)に乗っており、屋根の一辺は6尺5寸ほど(1.95mほど)、銅板葺きで頂点には露盤宝珠。本体の材質は主にけやきが使われており、獅子鼻彫刻、支輪の波彫刻が入り、斗組(ますぐみ)にも丹精な手仕事が見られます。総高でいうと、だいたい4mほどで、かなりの高さになります。

上の4枚目の写真、放射状の扇垂木から斗組までの細工は見事です。この一本一本の木口(木の先端の断面)は端に近づくにつれて徐々にひし形になっていく、とても手間の掛かる加工をしています。建物でも小物でもない難しい大きさの建造物で、違和感なく、立派に見せる江戸の大工方の技は見事です。

■ 保存と修理 ②損傷状況

今回の修理の目的は、常夜燈を修理し末永くこの場所で使い続けることにあります。

解体しなければわからないことは山ほどありますが、外観の目視から分かることも多くあります。

高欄の損傷

木質部の傷み
写真ではわかりづらいですが、床面の傾き(片下がり)

こうしておおよその損傷具合を予想し、交換すべき材料を準備するなど、取り掛かる前にすべきこともたくさんあります。おそらく銅板で覆われている屋根の内部もかなりの傷みがあるだろうと見られ、かなり大規模な修理が予想されました。

■ 保存と修理 ③解体

令和5年6月27日、いよいよ解体作業です。現場作業をなるべく少なくするため、細かくばらすことはせず作業を進めます。

屋根は四本の柱の上に突き出ている細い棒がささることで固定され、屋根そのものの重みで安定して乗っています。つまり自重と木のほぞだけで60年以上繰り返されてきた台風や大風をしのぎ切ってきたわけです。

露盤宝珠(ろばんほうしゅ)もほとんど外れかけ、ずれてしまっていましたが、良く落ちずに乗っていました。

作業を引きで撮るとこういった様子です。常夜燈の向かいは静岡の古いCMで有名だったよこち鳥獣店(※)があった場所です。

続いて本体(基壇上~柱)をひとつとして、ソックリ持ち上げていきます。

無事に本体を取り外すことができました。

さて、ここからディープな世界です。基壇の内部には、本体から吊り下がる形で接続されていた5本の欅材の構造体がありました。なんと基壇の中は深さ2.4mの深い穴が広がっていたのです。

構造体は穴の下の方でクロスになって繋がり吊り下がっていて、常夜燈本体がずれないような役割をしていたようです(実際、本体は基壇の上のふちに乗っているだけ)。

穴の底を見ると、玉石がゴロゴロころがっており、かなり不思議な状況です。

内部を調査したところ、底部はコンクリート打ち(昭和の修理と思われ)でモルタル工事の痕跡もありました。

正直なところ謎は残りましたが、この日の作業を無事に終えることができました。

※よこち鳥獣店とは
わたしのペット よこちのペット かわいいかわいい おともだち♪ よこちのペットは おともだち よーこーちー♪
という昔のコマーシャルで、静岡では知らない人はいないというほど超有名だったペットショップ
なぜか手元にあった、よこち鳥獣店のカナリア色のマッチ

■ 保存と修理 ④再調査~工場にて~

さて、ざっくりとした部分名称をつけてみました。これは大工さんによって微妙に呼称が違う場合もあるのでご愛敬ということでよろしくお願いします。

まずは、屋根をめくります。野地板(銅板の下の木の板)は、細い桧の丸太をうす切りにした皮付きの材料を裏返しに使用していました。雨水も入っていて、かなり良くない状況です。

真上から見るとこんな感じ。板と板のすき間が大きく、野地板の材料でさえ、揃えるのに苦労していたと推察します。

野地板をめくり終えると、野垂木(のだるき:野地板をとめる骨の部分)が露出します。この材料も比較的新しいのですが良材とは言えず、木と木を貼り合わせて厚みを確保しており、その部分が経年で遊離しているような状態でした。うち一本には「昭和三拾貮年拾月九日改修」と書かれていました。

これは軒付け(軒先になる部材)の写真です。本来、この部材は屋根の反りに合わせて大きな材料から削り出し、建物をきれいに力強く見せるきわめて重要な部分です。ですがこの軒付は”のこ”を複数箇所入れることで、材料を無理に反らせています。

気を付けなければならないのは、これらが決して手を抜いていると言うものではなく、材料が用意できたか、できなかったかの問題だと思います。なぜなら削り出しの場合、材料の大きさが二倍やそれ以上の厚み・幅が必要になることもあるからです。戦後の住宅すらままならなかった時代にそんなマグロのトロみたいな材料があったでしょうか。それをここに使えたでしょうか。先人が経験した苦労と、それを乗り越えた知恵と工夫の結果だと思います。


さて、解体を進めていくといろいろな事がわかります。昭和32年の修理がいかに大変な状況の中で行われたか、誤解を恐れずに言えば、応急的な修理でもあったわけです。もしも、この昭和の修理が行われなかったら、きっとこの常夜燈は現存していなかったでしょう。それだけ、修理のリレーというものは大切なんです。

つぎに、縁板を覆っていた鈑金を剥がしてみると、なんと縁板が二枚重ねになっていました。下の板は古く、上の板は新しい材料でした。おそらく、上の板は昭和に重ねられ、その上から鈑金で覆ったものと思われます。

写真は上の縁板をめくって見えた古い板です。右下に燃え焦げたような痕がありますね。最初は誰かがロウソクを倒して焦がしてしまったのかとも思いましたが、焼損はかなり厚めの板の下まで進んでいます。もしかしたら、静岡大火か、戦時中の空襲によってできた焼損かもしれません。

ここで思うのは、さすが火防の秋葉さんということです。燃え尽きることなく今にちまで残ってくれました。

■ 修理はまだまだ続きます

これからの様子は次なるブログ記事でお知らせしたいと思います。なにぶん現在も修理作業継続中ですので、随時更新していきます。

引き続き >>「静岡浅間通り 常夜燈 ~保存と修理~ 第二回」<< ごらんください!

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