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うれしい新聞記事がつづきました!

木鼻彫刻「獏」 ブログ

こんにちは、祥雲です。

私たちの手がけたお仕事が新聞記事になるといううれしいことが続きました!お祭りでは私たちは裏方、それでも自分たちの事のようにうれしいのは同じです。

■知多市岡田中組「雨車」

知多半島でオンリーワンの山車まつりといえばここ岡田を思い描きます。

先人たちの生きていた時代をそのまま残す岡田の町並み。その中で知多型と名古屋型の両方の形式を備えつつ、建立より200年を超える歴史を持つのが「岡田の山車」。この山車から学ばせて頂いたことは計り知れません。

岡田のみなさんとご縁を頂いたのはもう何年も前のこと。最初は彩色画だけのご相談だったのですが、気づけば前山総ての漆塗りから、柱ほぞの締め直し、屋形の修復、天井画の復元までさせて頂きました。

記事の中にこんな言葉があります。「祭りをやっている自分が好き」…お祭り人はみんな共感する言葉ではないでしょうか?言葉がうまく見つかりませんが、こういう感覚って地域と人とをつないでいるといいますか、とても大切なものだと思います。

この写真をみると、修理中の苦労がとつとつと思い出されますが、妥協せず仕事をすることの大切さに立ち返ることができます。


■常滑市小鈴谷「白山車」

ここまで大きな改修工事をお任せ頂いたことにとても感謝しています。

知多型の山車、小鈴谷地区の「白山車」。建立からちょうど100年の山車を大修理しました。台輪・柱組・高欄・壇箱・前山屋形などの山車を構成するほとんどの部分が、ほぼ新しく生まれ変わりました。

山車と地域と人がセットになってお祭りができる。逆に言えばどれかが欠けたり変化するとその姿も変わってしまうのかもしれません。記事の中にも「早く山車を区民に見せたい」という言葉がありました。住民みんなの顔が見えて、祭りをきっかけにひとつになれる。そんな地域の姿を思い描きながら出てきた言葉なのかなと思いました。

自慢の玉杢の破風板(摺漆仕上)です。ここに彫常さんの彫刻を付けられるのは、とても誉であります。


■静岡浅間神社「暫・木花・稲荷・神武車」

こちらは私たちの住む静岡の山車。

静岡浅間神社にて行われる廿日会祭(はつかえさい)にて出される山車(お踟:おねり)です。江戸の形式を今に伝える貴重な姿です。私たちは少しずつ修理を重ね、建立された姿に近づけることを目指しています。今回は高欄/太鼓台/人形/額を修理しました。

静岡はこの浅間神社建立の時と、関東大震災によって江戸から逃れてきた職人が住み着いたことから「職人の町」と呼ばれてきました。正確に言えば「工芸職人の町」だったかもしれません。祥雲もご多分にもれず、古くから静岡に住む職人の家でした。

時代を下り「工芸の町」も往時の隆盛は遠くなりました。だからこそ、この山車の修理、特に漆塗りは静岡の職人の手で行う「完全社内の手仕事」で仕上げました。あえて静岡の小さな工場で「堅地天然漆塗り」をする。これはもはや意地みたいなものですが、そんな気概をもって取り組んでいることを知っていただけたら、これ幸いです。

高欄の仕上げ工程。ここまでくるのに幾星霜を経たことでしょう。。。(遠い目)


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最後はちょっと自分語りが過ぎましたか??!!(笑)今後とも祥雲をヨロシクおねがいします。

それでは!

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