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磐田市中泉、時代をたどれば天平時代までさかのぼる、歴史の深い場所です。

ここに鎮座する”府八幡宮”、いわゆる八幡さまの例大祭が毎年10月に行われ、東西南北から文化が行きかう中泉ならでは、二輪・四輪・御殿屋台など様々な形式の山車屋台が繰り出されます。

今回は、八幡さまよりほど近い「中泉東組」の山車改修工事についてご紹介します。

■ 100年超の歴史を受け継ぐ山車

建立は明治二八年(1893年頃※)。2023年の現在から130年。長きにわたりここ東町のシンボルとして曳き継がれ、今の時代まで残ることができました。きちんと山車蔵も整備し、曳行できる形で残っている事だけでも、並々ならぬ努力が必要だったはずです。

修理前の山車

静岡では、特殊な事例を除けば二ッ輪屋台がある西限は磐田でないかと思います。130年という歴史に基づいたこの山車の形式には、大きな意味があると思います。

※出典:府八幡宮例大祭 祭冊子

■ 部材ひとつひとつが山車を作る

山車は小さな部材の集合体である以上、ひとつひとつの部材の寸法、形状、素材などすべてが一つになった結果として現れます。

全体を形作る要素が詰まっています

東組の山車には、設計の段階から多くの配慮がなされ、美しく勇壮に見えるよう作られています。

山車の形式を守りつつ、安全に曳行できるよう修理をして次世代へ引き継ぐことが、今の時代に合った修理方法だと思います。

■ 総欅(けやき)造

解体を始めて分かったことの一つが「総欅造」であったことです。けやきは我々もよく使う樹種で、スギヒノキなどよりも丈夫で重く、杢目がダイナミックで美しい日本の素晴らしい木の一つです。

欅の杢目

ただし反りがきつかったり、加工の難しさなど仕事人泣かせな木でもあります。この山車は手木・柱・斗組・高欄すべてが欅でした。特に高欄(朱塗りの手すり)まで欅だった事にはとても驚きました。

解体時の映像をタイムラプスで撮影しましたので、見てみて下さい。

磐田市中泉東町_山車解体タイムラプス

■ 手木は5メートルを超えるけやき

総欅の凄さはやはり手木(てぎ:土台部分)の材料の難しさで痛感しました。

手木として主流の「ひのき」は管理された木が流通していて、節の無い美しい材料を手に入れることが比較的容易です。

しかし欅の木はほとんどが天然。御神木レベルが必要で、枝が無く、日の当たらない場所でゆっくり育ったものでないと中々使い物になりません。特に手木のようなまっすぐで節が無く、素直な材料を探すのは簡単ではありません。

上の写真の街路樹くらいの大きさでは手木には使えません。黄色で囲った部分が6~7mあるくらいの巨木、太さも倍くらい必要です。どれだけ凄い材料か、感じていただければ。

実は今回の工事が始まる前から6m以上の欅を探して乾燥させ管理していました。これが準備できなければ工事が進まなくなりますし、いい仕事はできません。

■ 斗組がすごい

東組の山車の見せ場の一つが「斗組」。4つの柱の上に乗り、大斗から数えると四手先まで広がり、山車を大きく立派に見せる立役者となっています。

だからこそ、分解するとかなりの部品数になります。広げてみると「これでほんとに斗組4つ分!?」と驚嘆します。

漆塗りが終わり、ひとつひとつのきついゆるいを調整しながら組み直します。

■ どうしても復元したかった「東」

昭和の白黒写真を見ると、柱上の台輪(だいわ)に「東」文字が連続して描かれていました。ところが修理前にその名残は一切ありませんでした。これが復元できれば必ず今回の大改修の”見せ場”になります。

ここに「東」という文字が連続で描かれていた、はず

当初はオリジナルが見つからず、印相体や篆書体で復元することを検討しましたが、オリジナルの痕跡を発見、同じものを復元することができました。

かすかに残った痕跡を見つけました

「東」の文字は金箔押し。その上に透け漆をうすく塗り、塗面を炭研ぎします。ここで力を入れ過ぎて塗膜をやぶいて金箔をキズにしたらアウトです。

■ ラーメンマークじゃなくて、「雷紋」  

みなさんご存じのあの紋、「雷紋(らいもん)」という魔除けの紋様です。町の方の記憶によると、雷紋が台輪木口(部材の端部)に入っていたという証言がありました。

”良くない物事=邪 は木口から入る”という話を聞いたことがあります。台輪には「東」文字が描かれていますから、町内に邪が入り込まないよう雷紋を入れ魔除けとした。ご先祖様たちの願いや祈りがこの雷紋に込められていたのかもしれません。

「東」と並んで復元できてよかったと思える部分です。

■ 獅子木鼻の模刻復元

東組の彫刻は木箱に入れ大切に保存されてきましたが、い-三(向かって右後)は鞠獅子の毬が割れていたため、模刻復元を行うことになりました。

模刻というのはこれから必要な仕事ではないかと考えています。多くの寺社・山車屋台の彫刻が修理不可能な状態まで風化し、次々に消え去っているからです。

製作者のノミ筋が残っているうちに模刻し、その形式を伝承していくという考え方も、今後は必要と思います。

■ 伝統技法と、工業の力で

今回、車輪を新調しました。今までのものよりすこし大きく、軸受は無給油ブッシュを使用して可能な限りメンテナンスの手間を軽くするよう工夫をしました。

無給油ブッシュは商品名でオイレスメタルとも言いますが、山車屋台の界隈ではそれなりに使われている素材です。生地が黄銅、中の黒いツブツブが潤滑剤の役割を果たします。工業製品のため、耐用年数は定められていますから、将来的に交換が可能な方式にしました。

黒呂色、面朱仕上

■ 組めばわかる、この山車の良さ

祭礼の日も近づき、いよいよ組み上げていきます。手木や柱・台輪は工場で組むことができましたが、それ以上は現地で行います。

手木から腰まわり、柱に組み上げるにつれて、この山車のフォルムが明瞭になってきます。やはりこの形式、部材の寸法・意匠が良く考えられて作られた山車だと実感します。

■ 試し曳き、祭礼

どこのお祭でも、それは住んでいる人たちのものです。一緒について回ったり、綱を曳かせて頂いてもそれは変わりません。業者は微力を尽くして修理を行い、結果的に目指すものはその町の発展や安寧なのかもしれません。

お問い合わせ

山車・屋台・神輿の無料点検、修理、メンテナンスなど行っています。山車の健康診断(無料点検)・修理計画の作成や助成金申請のお手伝いもしていますので、お気軽にご相談ください。

    メールまたはお電話でお返事させて頂きます。

    工事内容一覧

    【木工事】

    (新調)手木一式
    (新調)腰板一式
    (新調)高欄(上下)
    (新調)心柱
    (新調)車輪・車軸
    (修理)框
    (修理)斗組一式
    (修理)床組一式

    【彫刻】

    (修理)山車彫刻全部
    (新調)獅子木鼻

    【漆工事】

    (修理)山車一式塗り直し


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