こんにちは祥雲です。
今日は、お寺の仏具修復のおしごとをご紹介します。お寺の道具(=仏具)は仏教の長い歴史・宗派の違いなどとても幅広く、高い専門性が必要です。
今回ご紹介する須弥壇(しゅみだん)は大型寺院仏具でとりわけ大切なもの、ご本尊(仏像)もしくはご本尊のお供えものを置く場所です。誤解をおそれず言ってみればこんなイメージ
ドラゴンボールで、ナメック星人のかみさまとミスターポポが住んでいる神の神殿がありますよね。そう、精神と時の部屋があるあそこです。
須弥壇の上というのは仏教の世界に存在する”須弥山(しゅみせん)”という高い高い山を模したもので、これの頂点つまり仏の神聖な領域、というわけです。ドラゴンボールもこういう東洋的な思想からカリン塔と神の神殿が生まれたのかもしれませんね。
ということで、天和年間(江戸時代)に作られた須弥壇の修復をみていきたいとおもいます!
■ 何これ?
何これ?と思うかもしれませんが、これが須弥壇(の裏側)です!まるで中身がないように感じられますが、構造材は後でしっかり入りますのでご心配なく。
修理まえは、留め(角の部分)が外れ、材料にも傷みがあったので補修、漆を塗りました。写真奥の壁面(来迎壁)に下から順番に取り付けていきますので、一番下の框を上にして積んで準備してある。。。という状態です。
さっそく一段目がくっつきました。よく見ると、ただ置いているのではなく、左右にある丸柱(来迎柱)とぴったりくっついています。
■ 江戸の職人の仕事が見える
丸柱は、須弥壇の外側線に合わせて欠いてあります。ここに本体が嵌っていくわけですね。300年以上前の人の仕事です。そう思うと、スゴイです。
重なり具合を確認しながら二段目、三段目と積み重ねていきます。
■ 単に仏具ではなく、工芸品としての美しさが魅力です
留め(カドの部分)がまっすぐそろっています。こうでないと須弥壇の美しさはでません。
さて、天和年間は江戸時代初期(1681~83)。将軍綱吉の生類憐みの令よりも少し前。300年以上の時が経っているわけですが、漆塗りの須弥壇、よく今の時代まで残っていますよね。すこしだけ漆を塗り直しましたが、外観はほとんど手を入れていません。やはり漆は最高の塗料です。
下段が終わり、束が立ちました。須弥壇全体に言えることですが、この束も江戸時代のセンスのいいデザインだと思いませんか?
束を上から見た断面です。全体にわたり加工も見事ですね。
■ まだ「これから100年使うもの」
束の幕板が入り、上段へと進みます。
一番上の框が重なりました。この上に天板を嵌めていくわけですが、内部に束を立てて構造を強化します。建物が消えてなくなってしまうまでこの場所に据え付けられているわけですから、超~長期間その形を保持していなければいけません。
もし傾いてしまえば、留の部分に負担がかかり、やがて全体が壊れていってしまいます。
あと100年たてば400年に、200年たてば500年の歴史を持つ須弥壇になると思うと、感慨深いものがあります。
修理しながら使い続ける。本来の日本人のものづくりの神髄を見るような気持ちになりますし、自分たちもそうありたいと思います。
■ 井伊直虎のお寺”龍潭寺”の須弥壇
さて、井伊家とは大きくでました!私共にて、井伊家の菩提寺「龍潭寺」の須弥壇を修理させていただいたときの様子です。
経年による汚れと、木地の欠けや割れなどがあったためこれを修理しました。その後、天然漆を塗り直し、外観の向上と木地の保護をしています。
なにしてるの・・?これは中央の彫刻に和紙を貼りつけ濡らしています。和紙が乾くときに彫刻の汚れが吸い上げられ和紙に移ります、木を傷めずに汚れを取ることができます。
いいですね~たまりませんね~(謎)丹精な先人の仕事ぶりから学ぶことはたくさんあります。
左が修理前、右が修理後です。汚れが取れてきれいにはなっていますが、年月を経た良さは失わないよう、艶をおさえしっとりと仕上げました。
龍潭寺さまでは他にも井伊家のお位牌を安置している御霊屋の漆塗り工事を行いました。また別の機会にご紹介したいと思います。
さて、黒や茶色の写真ばかりだったので目の保養として龍潭寺庭園の新緑をご覧ください。
まさに「目に青葉」という言葉がぴったり。写真は6月で、梅雨のしとしと雨ですべてが美しく見えます。
NHKの大河ドラマ「おんな城主直虎」の井伊直虎公の菩提寺がこのお寺です。遠州の古刹へぜひ足を運んでみてください。そしたら須弥壇もそっとご覧になってください。
浜松市マスコットキャラクター「出世法師直虎ちゃん」。井伊直虎公の生まれ変わりで、槍の名手で手には「うなぎの思い槍」というやさしい槍を持っています。
(なお、浜松市さんにブログでの使用許可を頂いて掲載しています)
■ 須弥壇修理をお考えの方へ
100以上の須弥壇を製作・修理してきました。本堂よりも長く何百年と使うものですので、須弥壇の修理を考えているお寺さまや総代さんがこの記事をみる可能性は何パーセントかわかりませんけれど、技術と経験で精度の高い仕事を目指してこの仕事をしています。
さてさて、「だれも知らないお仕事」ということでめくるめく須弥壇の世界をご紹介しました。
こんな記事がきっかけになるかわかりませんが、ぜひご自身のお寺へ行ってご先祖のお位牌を見たり、建物を眺めたり。ちょっと興味を持てば、自分とお寺のつながりを感じられたり、ものの見方がすこし変わったりするかもしれません。
お寺の建物・仏像・仏具など形ある物はすべて日本人の精神性が時間をかけて形になったものです。そう思えばちょっと人生が豊かに感じられるかもしれませんよ。
今回も長文失礼いたしました、それでは!
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